メキシコ滞在記

私が最初にメキシコを訪れたのは、今から、ちょうど20年前。陽気で温かなメキシコ人の人柄にすっかり魅了されてしまいました。それから長い年月がたちました。私は、妻となり、母となり、家と職場の往復をしながら、再び、かの地で味わった、あのおいしいメキシコ料理を食べてみたくなりました。しかしフランス料理やイタリア料理は、巷にお教室がたくさんありますが、メキシコ料理は、まだマイナーなのでしょうか。(多分、そうなのでしょう。)都内でさがしてみても、なかなか料理教室がありません。仕方ないので、独学で勉強をスタートしてみることにしました。いろいろな料理を作ってはみましたが、果たして現地の味に匹敵しているのか・・。都内のレストランを食べ歩いてもいますが、これが本当に、本国メキシコの味なのか、それとも日本ナイズされた、メキシコ料理なのか、私の味覚はますます混乱していきました。
「それなら、もう一度、メキシコに行ってみればいいじゃない?」

あまりにも単純な主婦の発想に、家族は、唖然としていました。
「メキシコに行くって、一体、誰と行くというの?」
娘の顔には、「大反対」の文字が、見て取れました。
「あなた、一緒に行く?」
「絶対イヤ!!中南米なんて、危ない国には、行きたくないから。」
もちろん夫にも、同行は、拒否されました。

娘のように、一度も中南米諸国に行ったことが無い人々にとって、ラテン諸国は、一体どのようなイメージを抱いているのでしょうか。確かに治安の悪さばかりが取り沙汰され、最近では、豚インフルエンザ、麻薬汚染など、コワイニュースばかりが、日本に飛び込んできます。
けれど本当はとても魅力的な国。20年前の訪墨した際は、夫も一緒だったのですが、彼は、どちらかといえば、北欧派。「中南米は、もういいよ」とのこと。
こうなったら、「女一人旅」を決行するしかありません!それにしても、「中南米・女一人旅」なんて本当に大丈夫?自問自答の日々が2日間ほど続き、その間、私はツアーパンフレットやネットで、さまざまなツアーの研究を始めました。「女一人」で行くからには、とにかく安全第一。最初は、ツアーに一人参加も考えましたが、団体行動は昔から苦手なので、冒険はせずにメキシコシティー一ヶ所滞在型のフリープランを選ぶことにしました。

しかし、物事はそんなに簡単には進みません。いざ旅行会社に電話してみると「フリープランとはいっても最小催行人数は2名からなのでそれでも、どうしても参加したい場合には、追加料金が必要である」「ホテルの部屋も2人部屋のため、こちらも追加料金がかかる」とのこと。結局当初のツアー金額より5万円程度、高くなってしまいました。何とか家族を説得し、会社から休みをもらい、5日間の「女メキシコ一人旅!」がついに実現することになりました。

3月27日(土)成田発18時05分、アメリカン航空0060便。ダラスフォートワース国際空港15時30分着。ダラスは、中南米路線にとってハブ空港となっています。乗り継ぎもとても便利ですが、アルカイダの活動が活発化していることもあり。イミグレーションやセキュリティーチェックはとても厳しく、かなり時間がかかりました。もちろん、アメリカ渡航前には、ESTAの取得も必要です。それでもイミグレーションは長蛇の列で、指紋もしっかり取られます。ただアメリカン航空の場合、ダラスで荷物のピックアップの必要が一切無く、荷物は、成田からダイレクトでシティに行くので、それはとても助かりました。

ダラスフォートワース国際空港発17時10分、アメリカン航空0481便、メキシコシティのベニート・フアレス国際空港着18時45分。ダラスからシティまでは、とても小型飛行機。まるで東海道新幹線の「のぞみ」がそのまま空を飛んでいるかのようで、少し不安を感じましたが、イケメン兄ちゃんのCAで、女性客は、満足気。ただ飛行機の中はとても涼しく、成田−ダラス間と違って、毛布も配られません。機内の寒さに震えながら、約2時間半ほどで遂にメキシコに到着しました。

今回は、女一人旅ということもあり、利便性より安全を重視。市内の中心地、ソカロからは多少、離れますが、ホテル・ニッコー・メキシコに宿泊することにしました。このホテルは、いわゆる日系ホテルで、日本人従業員も数名、常駐しているという話も聞いていましたが、実際、私が滞在している間、日本人スタッフには一度も会っていません。しかし不便は一切無く、温かなメキシカン・ホスピタリティーに包まれて、かなり快適に過ごすことが出来ました。

ホテル到着は、だいたい夜8時半頃だったでしょうか。夕飯は、ホテル内でもよかったのですが、せっかくやって来たメキシコ初日。ホテルの近くのレストラン「Karisma」に行ってみました。ホテルからは徒歩2分程度。ディナータイムであり、日本のレストランだったら、「女一人客」なんて、あまり好意的に受け入れられないかもしれません。でもここはメキシコ。ラテンの国。女一人でも、十二分にもてなしてくれるのです。

通常、ディナータイムのレストランというと、「コースで頼まないと、いけないのかしら」なんて、変な心配をしてしまいますが、メキシコでは、何でもOK!スープだけでも、サラダだけでも、「自分が本当に食べたいものを食べる」ということが、許されてしまいま
私は、とりあえずソパ・デ・トルティージャ(別名ソパ・デ・アステカ)(トルティージャのスープのこと)、クレパス・デ・カヘタ(クレープ)、アグア・ミネラル・シン・ガス(瓶に入った、炭酸抜きの水)を頼みました。もちろん、料理をオーダーすると、まず最初に出てくるのは、チップスとサルサ(ソース)のセット。どれも、とにかく美味しい!日本で食べたメキシコ料理とは、大違い。チップスに添えられたサルサは、通常、日本のメキシコ料理店では、サルサ・メヒカーナのみですが、サルサ・ランチェロとサルサ・チポトレという3週類がついてくる。それぞれのサルサの甘辛度は、国境を超え、私の舌を、うならせました。
「う〜ん。美味しい。」悦に入った私に、カマレロ(ウェイター)も満足気。しかも会計は、全部でたったの110ペソ(1ペソは約7円なので、800円弱といったところでしょうか)!!やはりメキシコは、素晴らしい〜!!大満足の夕飯でした。

翌朝、3月28日(日)、朝食は、ホテル内のレストラン、「エル・ハルディン」のブッフェにしました。ここのブッフェは、約6〜7割程度が、メキシコ料理。短い滞在日数で、さまざまなメキシコ料理チャレンジしたい方には、絶好の機会でしょう。フリホーレス、トシーノ、ポソレ・ブランコ、タマレス、バルバコア、ケサディージャ、ポジョ・デ・サルサ・ベルデ、エンパナーダス・ドゥルセ、など早朝から、私のお腹の中には、どんどんメキシコ料理が、一品、一品と収まっていきます。我ながら、その食欲には脱帽!カマレロ達も笑顔で、カフェ(コーヒー)を入れてくれます。
日本で、メキシコ料理を作る時は、つい市販の「小麦粉のトルティージャ」をよく使います。5枚で250円程度で、とても気軽に使うことが出来ます。しかし本物のトルティージャは、とうもろこしの粉で作るもの。さぞやメキシコでは、とうもろこしのトルティージャのみしか食べられないだろう、と思っていた私ですが、実際に並べられている料理を見てみると、どうやら小麦粉のトルティージャも立派に一役買っている気配が・・・。ニコニコ笑顔で横を通り過ぎようとしたカマレロに、「ねえ、メキシコでも、小麦粉のトルティージャを食べるの?本物は、とうもろこしのトルティージャでしょ?」と聞いたところ、「両方食べているよ。ここに並べられているケサディージャなんかは、小麦粉のトルティージャを使っているけど、あっちで、オープンキッチン形式で作っているケサディージャは、とうもろこしのトルティージャ(トルティージャ・デ・マイス)だよ」と教えてくれました。

さまざまな料理は、私の目と舌と心を感動させました。まさに満腹状態で、部屋に戻り、この日は、ホテルの近くにある「メキシコ国立人類学博物館」に行きました。この博物館は、世界の3大博物館のうちのひとつと呼ばれています。

マヤ文明、アステカ文明、テオティワカン文明など、メキシコには、いわゆるメソアメリカ文明の、数多くの歴史的遺物が残されています。各地から収集された貴重な資料を一同に展示してあるこの博物館は、古代文明ファンならずとも、、ぜひ一度は訪れておほしい観光スポットです。館内に入ると、すぐ左手に、観光用イヤフォンを貸してくれるスペースがあります。特に有名な展示物については、このイヤフォンがあれば、すべて至れり尽くせりと解説してくれるので、オススメです。
国立人類学博物館では、メソアメリカ文明に関する書物も、たくさん販売しています。なかなか日本では、入手が難しいような、おもしろい本や、展示物のカタログなど。探している本が見つからない時は、スタッフに尋ねると、とても親切に対応してくれます。

国立人類学博物館を後にした私は、買い込んだ本を、いったんホテルに置き、少し休んでから、ソカロとテンプロ・マジョールへ行きました。そもそもメキシコ・シティは、テスココ湖の湖上のあったアステカの首都、テノチティトランですが、そんなアステカ文明の中心となっていたのが、このテンプロ・マジョール。中央神殿の遺構です。アステカの主神、ウィツィロポチトリ」と、雨の神、トラロックが、祭られている神殿
で、文字通り、テノチティトランの政治的・宗教的中心地でした。現在も発掘が行われているこの遺跡は、メキシコ観光の大きな目玉となっています。テンプロ・マヨールは、博物館も併設しており、こちらも、かなり見ごたえがあり、楽しめます。

ソカロの周辺には、たくさんの出店が出て、まるでお祭りのようでした。出店では、メキシコみやげに相応しい民芸品が、たくさん売られています。またタコス屋など、食べ物屋も多く、まさにフィエスタそのものです。まとめて買えば、値引きもしてもらえるので、あちこちの店を見て回っていると、あっという間に、数時間が経過してしまうほどです。

メキシコ2日目の夜も、やはり「Karisma」(カリスマ)に行きました。以前から食べてみたかったケソ・フンディード、飲み物は、コロナビール、デザートは、フラン・デ・カサ(自家製プリン)にしました。ケソ・フンディードは、熱々のチーズが、小ぶりの土鍋に入れられてきて、一緒についてきたトルティージャにはさみながら食べるという、メキシコ版チーズフォンデューといったところでしょうか。さすがに、これは量が多くて、さすがの私も完食は出来ませんでした。それにしても、本当にメキシコ料理は奥深く、美味しい。ひたすら感動の毎日です。

メキシコ3日目、この日は、日本から、日帰りツアーを予約しておきました。前回、メキシコに来た時は、シティー・タスコ・アカプルコという訪問地だったにもかかわらず、私はまだ、テオティワカンに行った事が無かったのです。どうしてもピラミッドが見てみたかったので、日本からネットで予約しました。日本では、テオティワカンと呼ばれていますが、現地の方によると、「テオティワカンという名前は、アステカ人がつけた名前に過ぎない」とのこと。このためメキシコ人達は、「テオティワカン」とは呼ばず、「ピラミッド」と呼んでいました。
メキシコシティーから、車で約45分。テオティワカンは、紀元前後から、だいたい8世紀頃まで栄えた、メソアメリカ文明の中でも、最大の都市だったかもしれません。規模は21平方キロメートル、そこに20万人の人々が住んでいました。ただ文字らしい文字が無かったと言われており、まだ未解明な部分が多く残されています。テオティワカンの周辺で、当時から黒曜石が多く産出されたため、マヤ文明や他のメキシコで栄えた文明とも交流がありました。ただその交流というのは、経済的な交流でもあり、また軍事的なものでもありました。

実際、経済的な繁栄を背景に、テオティワカンは大きな力を持っていました。マヤ文明で最も栄えた、グアテマラのティカルでさえ、テオティワカンから来た軍人に、王朝をのっとられたのではないか、という話もあるくらいです。

それにしても、テオティワカンは、とてもよく整備され、見ごたえがある遺跡です。ケツァルコアトルのピラミッド、月のピラミッド、太陽のピラミッド。月と太陽のピラミッドは、登ることが出来るので、ぜひチャレンジしてみるといいでしょう。太陽のピラミッドは、現在、5層構造になっていますが、本当は4層構造でした。メキシコ独立100周年記念にあわせて、改修されらそうですが、その際、時間が無く、「間違えて5層にしてしまった」とか。いかにもメキシコらしい微笑ましいエピソードです。

テオティワカンからホテルに戻り、今度は、シウダデラ民芸品市場へ。おみやげをたくさん買い込みました。

この日は、メキシコ最終日。やはり3泊5日に旅は、あっという間に過ぎてしまいます。今回の旅行は、当初、あくまでも趣味に没頭する個人的な旅だったのですが、仕事先の方に、急にお会いすることになりました。民族舞踊を見ていなかったので、ソナ・ロッサにある「フォコラーレ」に連れて行ってもらいました。食事も美味しく、お酒も最高!民族舞踊も、店内中央にステージが設けられており、客席のどこからでも、観ることが出来ます。ぜひオススメのレストランでした。

翌日、とはいっても、アメリカン航空で、シティから帰国する場合、早朝便、5時30分シティ発の瓶だと、日付変更線を超え、翌日午後早めに帰国することが出来ます。ホテルを朝3時に出て、アメリカン航空1066便で、ダラス・フォーとワース国際空港経由で、アメリカン航空061便に乗り換え、無事成田に帰国しました。

やはりメキシコはステキな国。魅力的な国です。これからも、料理を通して、この国の魅力を、私なりに伝えていきたい、と強く思った旅でした